『ザ・万歩計』(万城目学,産業編集センター,2008.03.25) [本]
初出は、雑誌やネットに掲載された随筆。
なんとなく高橋克彦に似た文体。小説家になるという決意で、仕事を辞めて上京するあたりは、思い切りのよさに感心せざるを得ない。
全体的には、読みやすくて楽しかった。
ただ、『鹿男あをによし』で鹿がしゃべるという発想を、モンゴルで得た経緯を語る文章は、ちょっと思わせぶりで気になる。
以下、引用。
それにしても、「万歩計」という言葉が、山佐時計機器による登録商標だとは知らなかったなぁ。
新鮮な驚きがあった。
なんとなく高橋克彦に似た文体。小説家になるという決意で、仕事を辞めて上京するあたりは、思い切りのよさに感心せざるを得ない。
全体的には、読みやすくて楽しかった。
ただ、『鹿男あをによし』で鹿がしゃべるという発想を、モンゴルで得た経緯を語る文章は、ちょっと思わせぶりで気になる。
以下、引用。
憧れは憧れのまましまっておくほうがいい、という言葉は確かに真実なのかもしれない。
だが一方で、私はモンゴルで出会ったトナカイから、重大な真実を授けられ、日本に持ち帰ってきた。
タイガの地で日々、トナカイに囲まれながら、私はこの小便好きな動物が今にもしゃべりだしそうな気がしてならなかった。どこまでもボーッとして、実際何も考えていないらしいが、そのがらんどうの瞳は、逆にすべてを見通しているかに思えた。
「知ってますぜ。本当はしゃべるんでしょう、あなた」
ある日、私は小用を済ませながらトナカイに語りかけた。普段は“ぼう”としか話さないはずの連中が、小便を横面に浴びながら、このときいかなる反応を示したかは、私とトナカイだけの秘密である。
かの地でトナカイは、神の使いと言われていた。不思議なことに、日本にも同じく、神の使いと言われている、トナカイに似た生き物がいた。
あのとき、タイガの森でトナカイが授けてくれた真実を、七年後、私はその生き物に置き換え、一冊の本を書いた。
かつて私が抱いたモンゴルへの憧れは、風に乗って、ずいぶん形を変えて戻ってきたのである。
かの「あをによし」の地を目指して。
それにしても、「万歩計」という言葉が、山佐時計機器による登録商標だとは知らなかったなぁ。
新鮮な驚きがあった。
コメント 0