『一澤信三郎帆布物語』(菅聖子,朝日新聞出版,2009.10.30) [本]
あの京都の老舗「一澤帆布」を巡る一連の顛末を、当事者の一方(一澤信三郎氏夫妻)の視点からまとめた新書。
マスコミ等でかなり取り上げられていましたので、ご存じの方も多いと思いますが、裁判等の経緯については、こちらが詳しいです。
Wikipedia - 一澤帆布工業
一度は、代表権が長男(信太郎氏)のものとなったのですが、三男(信三郎氏)の妻による訴訟の結果、長男(信太郎氏)の提出した(一度は「無効と言える十分な証拠がない」と認められた)方の遺言状が偽造とされ、代表権が三男側(信三郎氏夫妻)の手に戻った、という、複雑な経緯をもつ相続裁判です。
その上、長男(信太郎氏)が雇用した従業員による訴訟は、まだ継続中です。
長男(信太郎氏)が代表者だった間に雇用された従業員の方々が作ったサイトはこちら。
一澤帆布労働組合
http://www12.ocn.ne.jp/~godoseni/ichizawahanpu.htm
信太郎氏側への取材は行われていない(できなかった?)ため、一方の視点からの記述となっていて、正直、読者としての不満は残ります。
まだ、完全には係争が終わっていない事件について、ノンフィクションやドキュメンタリーの形式で書かれるなら、対立する両者の見解を記述すべきですが、その点で本書の内容は一種のプロパガンダに過ぎず、明らかに公平性を欠いています。
せめて、四男(喜久夫)の方の見解だけでも知りたかった……。なお、次男の方は、生まれてすぐに亡くなられたそうです。
とはいえ、信三郎帆布の製品の作られ方や修理に対する考え方については、丁寧な取材がされていて、製品のよさが文章から伝わってきます。
なにより、元々の従業員(職人)の皆さんが、誰一人欠けることなく(と、本書には記されている)信太郎夫妻についていった、というエピソードは劇的で、「信三郎と共に! We Shall Return」と書かれた帆布の横断幕を前にして撮られた写真には、感動しました。
今度、京都を訪れたときには、茶筒の「開化堂」とともに、必ず立ち寄ってみたいお店です。
2010.03.14 追記
その後、実際に一澤信三郎帆布の店舗にも行ってきました。
そのときの記事は、こちら。
マスコミ等でかなり取り上げられていましたので、ご存じの方も多いと思いますが、裁判等の経緯については、こちらが詳しいです。
Wikipedia - 一澤帆布工業
一度は、代表権が長男(信太郎氏)のものとなったのですが、三男(信三郎氏)の妻による訴訟の結果、長男(信太郎氏)の提出した(一度は「無効と言える十分な証拠がない」と認められた)方の遺言状が偽造とされ、代表権が三男側(信三郎氏夫妻)の手に戻った、という、複雑な経緯をもつ相続裁判です。
その上、長男(信太郎氏)が雇用した従業員による訴訟は、まだ継続中です。
長男(信太郎氏)が代表者だった間に雇用された従業員の方々が作ったサイトはこちら。
一澤帆布労働組合
http://www12.ocn.ne.jp/~godoseni/ichizawahanpu.htm
信太郎氏側への取材は行われていない(できなかった?)ため、一方の視点からの記述となっていて、正直、読者としての不満は残ります。
まだ、完全には係争が終わっていない事件について、ノンフィクションやドキュメンタリーの形式で書かれるなら、対立する両者の見解を記述すべきですが、その点で本書の内容は一種のプロパガンダに過ぎず、明らかに公平性を欠いています。
せめて、四男(喜久夫)の方の見解だけでも知りたかった……。なお、次男の方は、生まれてすぐに亡くなられたそうです。
とはいえ、信三郎帆布の製品の作られ方や修理に対する考え方については、丁寧な取材がされていて、製品のよさが文章から伝わってきます。
なにより、元々の従業員(職人)の皆さんが、誰一人欠けることなく(と、本書には記されている)信太郎夫妻についていった、というエピソードは劇的で、「信三郎と共に! We Shall Return」と書かれた帆布の横断幕を前にして撮られた写真には、感動しました。
今度、京都を訪れたときには、茶筒の「開化堂」とともに、必ず立ち寄ってみたいお店です。
2010.03.14 追記
その後、実際に一澤信三郎帆布の店舗にも行ってきました。
そのときの記事は、こちら。
一澤信三郎帆布
〒605-0017
京都市東山区東大路通古門前北
知恩院前交差点近く 東大路通西側
Tel. 075-541-0436
http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/
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