SSブログ

「舟越桂2010」展(熊本市現代美術館) [美術]

熊本市現代美術館(CAMK)で開催中(2月13日まで)の「舟越桂2010」展を観てきました。

美術館に着いたのが、12月11日(土)の12時過ぎ。
大きな看板が出ていて、期待が高まります。

IMG_3537_s.jpg

IMG_3538_s.jpg

まず、今回の主目的である舟越桂氏によるアーティスト・トークの会場となるホームギャラリーの下見。
比較的広い会場で、一安心。

講演開始まで2時間近くあるし、場所取りのために座っていなくても、まあなんとかなるだろう、という見込みの元、会場内をぐるっと一回り。
展示室は、1980年代、1990年代、2000年代と時代ごとに3つに分けられ、作品点数は多くなかったが、作風の変化がわかる、いい展示だった。
中でも、初めて見たのは、「風のある部屋」(1992年、株式会社西日本シティ銀行)と「もうひとりのスフィンクス」(2010年、エド・ブローガン氏蔵)。

13時過ぎに見終わったので、講演会の会場へ移動。
よく見ると、誰も座っていない席にも場所取りのために物が置かれていて、マナーの悪さに唖然。それでも何とか前よりの席を確保。
14時には、席は満席。周囲にもかなりの数の立ち見のお客さん。
きっと、主催者側も、こんなに聴講したい人が集まるとは思っていなかったんでしょうね。
すぐに、学芸員の紹介で、舟越桂氏が登場。
「昨夜、熊本で飲み過ぎてしまい、ひどい声で申し訳ない」という前置きで、講演は始まりました。

以下、メモから転載。
========================================

熊本に滞在するのは初めて。
でも、以前から、深いつながりがあった。一つは彫刻の素材として使っている楠が、熊本県の県木であること。九州からの材木を使っているということは認識していたが、それが熊本県産だとは知らなかった。
もう一つは、同時開催されている「光の絵画」展。父・舟越保武のダミアン神父の像が展示されていた。ダミアン神父とハンセン氏病とのつながりは、若いころ、父から聞かされていた。

自分の彫像の眼に使っている大理石は、父が使っていたもの。
固定方法は、仏像の玉眼の固定方法を真似している。内側を刳りぬいて、まぶたの部分は1ノミずつ削っていくという手法。
作品のタイトルは、見えているものを、もう一度、言葉にするのは止めにした。

彫刻にブリキを使ったことに論理性はない。
最初のデッサンにあったものを立体化したもので、もっともそれを表現するのに適した素材を使っている。
その素材が、一般的に彫刻に適しているとされているかどうかは関係なく、使っていいと判断できる性格をしている。

山ともう一つの顔。
もう一つの顔は、自分の中にいる自分と相反するものの表現。
山は、学生のころ造形大にタクシーで乗り合わせて行く途中で思いついた「あの山は俺の中に入る」という、自分でも驚く言葉に由来している。

スフィンクスは人に謎をかける。だからこそ、スフィンクスは人間をずっと見続けている。
なにも言わない。ただ、知っている。

潜在的には、作品を作り始めた初期のころから、スフィンクスとは出会っている。
ノヴァーリスの『青い花』の一節をよく覚えている。
「この世界を知るものとは、なんぞや?」
「自分自身を知るもの」
ここには、なにか大事なことが書かれている、と感じた。
彫刻をやっていこうと思ったが、そのころにはもう流行していなかった具象彫刻しかできないと思っていた。具象に進もうと思う後押しを「自分自身を知るもの」という言葉がしてくれた。
人間とはこうだ、ということは、世界とはこう成り立っている、ということに等しい。

彫像は、胴の内刳りをして、軽くすると同時に、ヒビを予防している。

「バッタを食べるスフィンクス」は、昔観た『事件』というドラマで見た場面に影響されている。
バッタを食べたことはないが、苦いような味がするに違いない。それを敢えて殺して、噛んで食べる。それは、スフィンクスが高いところで人の戦いを見ているときに感じる思いに似ているのではないか?

肩や背中から手が出ている作品が多い。
その手とは、アンテナとしての手。誰かと繋がる、助けを借りるための手。
そういうものとしてならいいのではないか、と思い、作品に取り入れている。

「見晴台のスフィンクス」は、「スフィンクスは自分たちの中にある。なら、自分をスフィンクスに入れてみよう」という思いで制作した。
「あるんだよ。でも見えない」という点から、秘仏や胎内仏も意識している。
自刻像を全部を入れてしまう(見えなくしてしまう)のはもったいないので、ああいった形で見えるようにした。
また、頭の中に収めるためのバランスから、キングコングのような体型になっている。ほんとうはあんなポーズにしたくはなかったのだが、後頭部に収めるという構造上の制限から、あのような体型にならざるを得なかった。
胴体に金箔を貼ったのは、金箔なしでは、将来、レントゲンで撮影してもなにも写らないだろう、という思いがあったから。

版画は、フィルムに描いた線がそのまま原画になる手法を用いている。手描きがそのまま版になる。
普段は夜から夜明けまで働く生活をしているが、版画のときは他の人も絡んでいるし、2週間のプロジェクトで予定した作品数を完成させないと関係者が困るため、ほんとうに別人のように働いている。

<楠を素材として選んだ理由について>
 函館で大きいレストランを経営している叔父の仲介で、トラピスト修道院の聖母を彫ることになった。
 父(舟越保武)に頼みたかったようなのだが、父は木彫をやっておらず、また、予算もなかった関係で、息子の、まだ無名の自分に白羽の矢が立った。
 2mを超える作品になるので、大学の教授に相談をしたところ、楠がいいんじゃないか、と薦められた。
 実際に彫ってみて、この材なら、僕はなんとかできる、と感じた。
 価格もヒノキより安く、硬さも中くらい。色も白すぎず、濃すぎず。匂いもいい。
 困るところは、木目がねじれているところ。彫る方向を頻繁に変える必要がある。

<作品を手放すときの気持ちについて>
 自分の作品であっても、手元を離れてしまうと、二度と見る機会のない作品は多い。
 どこにどの作品があるのかは、画廊を通じて知るだけで、コレクターの人と友達になる、ということも、あまりない。
 人の形をしたものなので、手放すのは辛い。どの作品とはいわないが、億万長者になったら、買い戻したい作品がいくつかある。
 最近は助手が小まめに掃除をしてくれるので、そういういことはなくなったが、以前、父の家の倉庫で制作をしていたときは、彫った木屑が床に溜まっていき、作品が完成して運び出されると、そこにポッカリと穴が空き、寂しかった。周囲の音は同じなのに、辺りが急に静かになったような気さえした。

<趣味について>
 若いころは身体を動かすことが好きだった。特にラグビー。
 趣味といえるものは、あまりない。映画は好き。いい年をして、テレビっ子でもある。
 スケートボードが好きで、若いころ、「妻の肖像」を完成させる前のころ、そのころ住んでいた府中の競馬場の駐車場でずっとやっていた。

<父、舟越保武について>
 影響されている。
 一生、父を超えられないだろうな、と思っている。他人の評価ではなく、自分(舟越桂)の感じる父のすごさを超えられないと思っている。
 学生のころ、「こういうものと出会ったから、彫刻の道を選んだ」という話をしたことがあった。
 そのとき、「(そういうきっかけが)俺にはない」と思い、わりとショックだった。
 少し後で、物心がつく以前に、そのきっかけに出会っていることに気がついた。
 それは、記憶にはないけれど、父という存在との大事な出会い。
 小3のころには、「彫刻家になっていくだろうなぁ」という遠い予想を抱いていた。
「スフィンクスの話」という作品の完成間近、「これを作るために、ずっと彫刻を作ってきたのかもしれない」と思った。

<美しいという言葉について>
 私は「美しい」という言葉を安易に使いすぎているのかもしれない。
 私が美しいと思うものは、何かが調和しているようなもの。それも盲腸があるような調和。余計なものがくっついた調和。
 例えば、すごく辛いものが含まれている映画でも、「美しい」と表現することはある。
 例えば、傷がないお茶碗と傷があっても、それ全体として美しいお茶碗。
 最近、奇異に見える作品も作り始めているのは、そういう思いがある。

<社会との関わりについて>
 削ぎ落とすことで、いつの時代にも通用する意匠というものがある。
 今の政府を批判しても、体制が変わるとその批判自体が古くなる。
 自分の作品には、服装なども、流行そのもの、その時代にだけ通用するようなものは取り入れないようにしている。

<表情について>
 少し外斜視気味にしているので、遠くを見ているようになっている。
 一番遠くにはなにがあるか?
 世界を知る=自分を知る、ならば、自分を見るのでもいいんじゃないか?
 固定した表情にしないように作ってきた。笑顔で作ると、それは広がりのない、それだけのものになってしまう。
 もっと長い間通用するものを作りたかった。

<彩色について>
 下地には、アクリル絵の具の白を濁らせたものを塗っている。
 それをサンドペーパーで削り落とす。木の色に助けられていると思う。
 肌色は、油絵の具を使っている。頬に赤みがほしいときは、絵の具が乾かないうちにパステルの粉を飛ばしている。
 胴体は、アクリル絵の具を使うことが多い。テカリを出したくないときは、石の粉を混ぜたりしている。伝統的な技法にはこだわりがないので、自由にやっている。
 寄せ木については、伝統的な技法を教えてもらっていないのが、マイナスになっている。
(質問者に対し)彫刻をやっているなら、なんでも使った方がいい。一生は短いから。

<仏像からの影響について>
 仏像からの影響は受けている。
 鎌倉時代の仏像には、自分の作品との近さを感じている。
 法隆寺の救世観音はすごいと思う。東大寺の広目天もすばらしく好き。
 運慶の俊乗上人(俊乗房重源)坐像には、人を表現することが世界を表現することにつながる、という念を抱いた。

========================================

質問が長引き、終わったのは予定の15時半を大きく回った16時過ぎ。
舟越氏は、少し休憩した後、サイン会にも応じてくれ、私も今回のカタログにサインをいただきました。
その後、展示会場をもう一度ぐるっと見て、戻ってくると、まだサイン会は続いていました。
講演だけでもお疲れでしょうに、よほどのサービス精神がないと、なかなかできないことだと思います。

美術館を出ると、もう17時過ぎ。
わざわざ熊本まで来た甲斐のあった、いい一日でした。


熊本市現代美術館
http://www.camk.or.jp/
「舟越桂2010」展
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/funakoshi/



青い花 (岩波文庫)

青い花 (岩波文庫)

  • 作者: ノヴァーリス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/08/16
  • メディア: 文庫

水のゆくえ―舟越桂作品集

水のゆくえ―舟越桂作品集

  • 作者: 舟越 桂
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2002/05
  • メディア: ペーパーバック

舟越桂 夏の邸宅

舟越桂 夏の邸宅

  • 作者: 舟越 桂
  • 出版社/メーカー: 求龍堂
  • 発売日: 2008/09
  • メディア: 大型本

≒(ニアイコール)舟越桂 [DVD] (NEAR EQUAL FUNAKOSHI KATSURA)

≒(ニアイコール)舟越桂 [DVD] (NEAR EQUAL FUNAKOSHI KATSURA)

  • 出版社/メーカー: ビー・ビー・ビー株式会社
  • メディア: DVD

舟越桂 語りかけるまなざし [DVD]

舟越桂 語りかけるまなざし [DVD]

  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • メディア: DVD


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。