『しゃべれども しゃべれども』(佐藤多佳子,新潮社,2000.06.01) [本]
今まで読んでいなかったことや、映画になるまでその存在を知らなかったのが恥ずかしくなるほどの秀作。
特に、感情の表現が巧み。映画も見ておけばよかったな。残念。
例えば、十河の泣き顔を思い出す場面。
例えば、話し方の会をみんながやめてしまったと思い込んで落ち込む場面。
例えば、十河の噺を聞いていて、考えを巡らす場面。
自分でも感じたことのある感情が、巧みに表されていて、泣ける。
いい小説だ、ほんとに。
特に、感情の表現が巧み。映画も見ておけばよかったな。残念。
例えば、十河の泣き顔を思い出す場面。
風呂の湯につかって、のほんとしている時など、ふいに、並木の藪での十河の泣き顔が目に浮かぶことがあった。
奇妙な顔だった。
しわ一つ寄せず、顔を歪めもせず、無表情のまま、目から頬へと涙の粒が転げて、すうと筋になる。自分で泣いているとわかっていないんじゃないかと思った。それほどひっそりと静かだった。
あの顔を思い出すと、胸のあたりが不快になる。落ちつかなくて、ざわざわして、いらいらして、痛むような感覚になる。
例えば、話し方の会をみんながやめてしまったと思い込んで落ち込む場面。
一人でぽつんと茶の間に座っていると、そんなに冷える夜でもないのに、こたつが欲しいと思うほど寒々しい気分になった。みんな人生がうまいこといかなくて、かなり不幸せで、それぞれ孤独に勝手に生きていくのだなと思うといやになった。そんなものさ、と自分に無理やり言い聞かせる。茶番劇は終わった。ドン・キホーテが無理やり引っ張り出された舞台に、最後は一人で取り残されてまごまごしている。さあ、退場するとしよう。
例えば、十河の噺を聞いていて、考えを巡らす場面。
あの黒猫は誰にもなつかないのではなく、俺になつかないのだ、とふと思った。そう思った時、胸をついた酸っぱい感情にとまどった。十河は俺を嫌いじゃないと言ったが、俺よりも良や湯河原や村林のほうが好きかもしれない。いや、たぶん、そうだろう。だからといって、どうだというのだろう?
自分でも感じたことのある感情が、巧みに表されていて、泣ける。
いい小説だ、ほんとに。
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