ケータイ国盗り合戦、91国統一。 [ケータイ国盗り合戦]
都内を移動しながら、地下鉄の駅ごとに国盗り。
半蔵門駅で「四谷・市ヶ谷」が盗れたのは予想外だった。
根津美術館に行くついでに「青山・赤坂」も盗れ、計2国。
これで、都内もかなり制覇。
これで、91国統一。
100国まで、あと9国。
今日一日で、「雷おこし」の絵巻を無意味に2巻入手。計3巻。
満遍なく集めていくのは難しいんだなぁ、と実感。
半蔵門駅で「四谷・市ヶ谷」が盗れたのは予想外だった。
根津美術館に行くついでに「青山・赤坂」も盗れ、計2国。
これで、都内もかなり制覇。
- 青山・赤坂
- 四谷・市ヶ谷
これで、91国統一。
100国まで、あと9国。
今日一日で、「雷おこし」の絵巻を無意味に2巻入手。計3巻。
満遍なく集めていくのは難しいんだなぁ、と実感。
ケータイ国盗り合戦
http://kntr.jp/pc/
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ケータイ国盗り合戦、89国統一。 [ケータイ国盗り合戦]
国盗りをしながら上京。
ただ、道中の国(新幹線の沿線)は、かなり統一が進んでいるのため、盗れた国は2国のみ。
都内に入った後、丸ノ内線の淡路町駅で「小石川・本郷」が盗れたのを含め、合計3国を統一。
これで、89国統一。
ひとつの区切りといえる100国も近づいてきた。
途中、新神戸駅で龍馬キャンペーンの「神戸海軍操練所跡碑」も盗れた。ただ、もう一度、神戸のポイントをすべてクリアするのは少し億劫。
ただ、道中の国(新幹線の沿線)は、かなり統一が進んでいるのため、盗れた国は2国のみ。
都内に入った後、丸ノ内線の淡路町駅で「小石川・本郷」が盗れたのを含め、合計3国を統一。
- 小石川・本郷
- 戸塚
- 鷲津
これで、89国統一。
ひとつの区切りといえる100国も近づいてきた。
途中、新神戸駅で龍馬キャンペーンの「神戸海軍操練所跡碑」も盗れた。ただ、もう一度、神戸のポイントをすべてクリアするのは少し億劫。
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『23分間の奇跡』(ジェームズ・クラベル,集英社,1983.09.25) [本]
原題は“The Children's Story... - but not just for children”。
舞台は、いつかの時代の、どこかの国の小学校。
9時ちょうどに入ってきた新しい先生が9時23分には、生徒たちに新しい価値観を植え付ける。それも、極めて平和的に。
そのあまりの静かな変化が恐かった。
以下、一部、引用。
舞台は、いつかの時代の、どこかの国の小学校。
9時ちょうどに入ってきた新しい先生が9時23分には、生徒たちに新しい価値観を植え付ける。それも、極めて平和的に。
そのあまりの静かな変化が恐かった。
以下、一部、引用。
先生は、みんながキャンディを、たべおわるのを待っていた。ここまでのやりかたは、すべて教えられたとおりに運んだまでのことだ。しかし、これで子どもたちはあたしのいうことをよくきくようになり、りっぱな市民として育っていくだろうと思った。先生は窓から外を見た。日が、さんさんとあたっている。広い、すばらしい土地だ。この土地を胸いっぱい吸いこむのだ。でも先生の胸が熱くなってきたのは、さんさんとあたる太陽のせいではなかった。先生は、この学校の、いや、この土地の、すべての子どもたち、すべての男や女たちが、おなじ信念をもって、おなじような手順のもとに、教育されていくであろうことを思うと、胸が熱くなるのだ。その手順は、年齢のグループによっても、要求のどあいによってもちがうけれど。
先生は、うでどけいを、ちらと見た。
九時二十三ぷんだった。
『怖い絵』(中野京子,朝日出版社,2007.07.25) [本]
表紙の絵(ラ・トゥールの『いかさま師』)が印象的な装丁。
「怖い絵」として取り上げられているのは、計20作品。
ただ、見た目の印象で「怖い」絵は、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』やベーコンの『ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作』など、数点に限られる。
本書が追求する「怖さ」は、もっと奥深いところにある。
個人的に怖いと感じたのは、ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』やダヴィッドの『マリー・アントワネット最後の肖像』。
特に、ドガの作品の場合、スポットライトを浴びて踊るバレリーナ(エトワール)が落ち着いた色調で描かれているだけなので、どこにも不気味さも狂気も感じない。そのため、怖さは全く感じない。実際、私がオルセー美術館で実物を見たときの印象も「きれいな絵だな」というものでしかなかった。
作者は、そこからさらに奥に掘り下げ、現代の我々の眼には映らない、はっきりと見えていながら認識できていない数々の存在を暴いていく。
このドガの『エトワール、または舞台の踊り子』の場合、それはドガの時代、劇場、とりわけオペラやバレエを上演するオペラ座が堕落していたことに由来している。現代より社交場としての機能が遙かに重視されていたこの時代、当時の批評家の言葉を借りれば「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」となっていたのだ。
そして、その娼館に常駐している娼婦が踊り子だった、という歴史的な事実が提示されると、この美しい絵も美しいだけの絵ではないことがわかってくる。
この絵の場合、背後の書割の陰に佇んでいる夜会服を着た紳士が、このエトワールのパトロンであり、当時の人たちにとっては一目瞭然かつ全く普通のことだったため、この絵に描き込まれているのである。
以下、一部引用。
一旦、この見えていながら見えていなかった事実に気がついてしまうと、もうこの名画を以前と同じように「きれいな絵」とは思えない。
これは、人として幸いなのか、不幸なのか……?
いずれにせよ、斬新な切り口の名著。続編も読んでみよう。
「怖い絵」として取り上げられているのは、計20作品。
ただ、見た目の印象で「怖い」絵は、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』やベーコンの『ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作』など、数点に限られる。
本書が追求する「怖さ」は、もっと奥深いところにある。
個人的に怖いと感じたのは、ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』やダヴィッドの『マリー・アントワネット最後の肖像』。
特に、ドガの作品の場合、スポットライトを浴びて踊るバレリーナ(エトワール)が落ち着いた色調で描かれているだけなので、どこにも不気味さも狂気も感じない。そのため、怖さは全く感じない。実際、私がオルセー美術館で実物を見たときの印象も「きれいな絵だな」というものでしかなかった。
作者は、そこからさらに奥に掘り下げ、現代の我々の眼には映らない、はっきりと見えていながら認識できていない数々の存在を暴いていく。
このドガの『エトワール、または舞台の踊り子』の場合、それはドガの時代、劇場、とりわけオペラやバレエを上演するオペラ座が堕落していたことに由来している。現代より社交場としての機能が遙かに重視されていたこの時代、当時の批評家の言葉を借りれば「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」となっていたのだ。
そして、その娼館に常駐している娼婦が踊り子だった、という歴史的な事実が提示されると、この美しい絵も美しいだけの絵ではないことがわかってくる。
この絵の場合、背後の書割の陰に佇んでいる夜会服を着た紳士が、このエトワールのパトロンであり、当時の人たちにとっては一目瞭然かつ全く普通のことだったため、この絵に描き込まれているのである。
以下、一部引用。
──スポットライトを浴びて華やかに舞うエトワール。彼女はほんとうにスターとしての素質があるのか、それとも単に有力なパトロンの後押しで、今日のこの座を得たのだろうか? それは永遠にわからない。
けれど確かなのは、この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上って、とにもかくにもここまできたということ。彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。それがとても怖いのである。
一旦、この見えていながら見えていなかった事実に気がついてしまうと、もうこの名画を以前と同じように「きれいな絵」とは思えない。
これは、人として幸いなのか、不幸なのか……?
いずれにせよ、斬新な切り口の名著。続編も読んでみよう。
『まねき通り十二景』(山本一力,中央公論新社,2009.12.20) [本]
『神々の捏造』(ニナ・バーリー,東京書籍,2009.08.03) [本]
副題は、イエスの弟をめぐる「世紀の事件」。
原題は、“Unholy Business”。
原題の方が、本書の内容を直截に伝えている。
聖地エルサレムを舞台に、聖書時代の遺物の偽造事件に迫るこのドキュメンタリーだが、全てが事実、ということが、にわかには信じられないほど入り組んだ展開。
2002年にイエス・キリストの弟ヤコブのものであると公表された「ヤコブ、ヨセフの息子、イエスの兄弟」と記された骨箱が、当時、キリストの実在を示す史上初の物的証拠として話題になったことは覚えていたが、全くの贋物だとは、本書を読むまで知らなかった。
偽造犯として起訴されたオデット・ゴランという人物の背後に、どのような関係が隠されているのかはさておき、科学者をも含めて、人は「信じたいものを信じる」のだなぁ、と再認識させられた。
4月10日からイタリアのトリノで10年ぶりに公開されている「トリノの聖骸布」 (Shroud of Turin) といい、聖遺物の真贋がはっきりしないのは、人がその実在を信じたいからなのだろう、きっと。
原題は、“Unholy Business”。
原題の方が、本書の内容を直截に伝えている。
聖地エルサレムを舞台に、聖書時代の遺物の偽造事件に迫るこのドキュメンタリーだが、全てが事実、ということが、にわかには信じられないほど入り組んだ展開。
2002年にイエス・キリストの弟ヤコブのものであると公表された「ヤコブ、ヨセフの息子、イエスの兄弟」と記された骨箱が、当時、キリストの実在を示す史上初の物的証拠として話題になったことは覚えていたが、全くの贋物だとは、本書を読むまで知らなかった。
偽造犯として起訴されたオデット・ゴランという人物の背後に、どのような関係が隠されているのかはさておき、科学者をも含めて、人は「信じたいものを信じる」のだなぁ、と再認識させられた。
4月10日からイタリアのトリノで10年ぶりに公開されている「トリノの聖骸布」 (Shroud of Turin) といい、聖遺物の真贋がはっきりしないのは、人がその実在を信じたいからなのだろう、きっと。
『その科学が成功を決める』(リチャード・ワイズマン,文藝春秋,2010.01.30) [本]
原題は、“59 SECONDS”。
59秒でできる心理学的な根拠のある自己啓発の方法、というのが、原題の意味。
本書では、科学的な検証により、巷にあふれる自己啓発本の数々のメソッドの真偽が実証されていく。
印象に残ったのは、イメージトレーニングは逆効果で、プラス思考の実践者は、ダイエットにも恋愛成就にも失敗する割合が高かった、という調査結果。
う~む。考えさせられる。
巻末に、著者がソフィーという友人に「科学的に裏付けがあって、しかも一分以内にできる自己啓発の方法はないの?」という質問に対する回答として、59秒でできる10のことがらが列挙されている。
以下、抜粋。
……取り組みやすいのは、どれだろう?
59秒でできる心理学的な根拠のある自己啓発の方法、というのが、原題の意味。
本書では、科学的な検証により、巷にあふれる自己啓発本の数々のメソッドの真偽が実証されていく。
印象に残ったのは、イメージトレーニングは逆効果で、プラス思考の実践者は、ダイエットにも恋愛成就にも失敗する割合が高かった、という調査結果。
う~む。考えさせられる。
巻末に、著者がソフィーという友人に「科学的に裏付けがあって、しかも一分以内にできる自己啓発の方法はないの?」という質問に対する回答として、59秒でできる10のことがらが列挙されている。
以下、抜粋。
……取り組みやすいのは、どれだろう?
- 感謝の気持ちを育てる
- 財布に赤ちゃんの写真を入れる
- キッチンに鏡を置く
- 職場に鉢植えを置く
- 二の腕に軽くふれる
- パートナーとの関係について本音を書き出す
- 嘘を見抜くときは目を閉じ、相手の言葉に耳を傾ける
- 子供をほめるときは、才能ではなく努力をほめる
- 成功した自分ではなく、前進する自分をイメージする
- 自分が遺せるものについて考える
人生の中で自分が感謝することを三つ書き出す。あるいはこの一週間のあいだにとくにうまくいったことがらを三つ書き出す。すると一月ほどあいだ、幸福感が高まる。そしてそれまでより将来に対して楽観的になり、健康状態も良くなる。
財布に赤ちゃんの写真を入れておくと、なくしたとき戻ってくる割合が3割増える。赤ちゃんの大きな目とまるくて小さな鼻が、人の奥底に眠る進化のメカニズムに訴えて親切心を目覚めさせ、持ち主に返そうという気持ちが高まるのだ。
自分が食べる食べ物を選ぶとき、目の前に鏡があると32%の人が健康によくない食品を避けたという実験結果がある。鏡に映る自分の姿を見ると、体形が気になり始め、身体にいい食品を選ぶようになるのだ。
職場に植物を置くと、男性社員の発想力が15%高まり、女性社員は問題に対してそれまでより独創的な解決法を考え出せるようになる。植物があるとストレスが減り、気分がよくなって創造力が高まる。
人の二の腕に軽く触れると、頼みを聞いてもらいやすくなる。人は誰かに触られると、無意識に相手を上位の存在として受け止めるからだ。デートの研究によると、二の腕に触れるとナイトクラブで相手がダンスの誘いに応じる率が2割増え、通りで知らない人に電話番号を教える確率が1割上がった。
パートナーと毎週数分ずつ、自分たちの関係をどう感じどう思っているか、おたがいに本音を書き出すと、関係が長続きする率が2割増える。このような「感情にあふれたメモ」には、たがいにプラスの言葉で話せる効果があり、より健全でしあわせな関係が続く。
相手の嘘を見破るヒントは、その言葉づかいに隠れている。人は嘘を話すとき「うーん」や「えー」などの言葉が多くなり、自分を差す言葉(「私に」「私が」「私の」など)を使わなくなる。そして電話よりeメールを使う方が、嘘を伝える率が2割減る。メールでは記録が残るため、あとで自分に跳ね返ってくる可能性が高いからだ。
子どもの才能より努力をほめると(「よくやったわ、ずいぶんがんばったのね」など)、実際の結果がどうであれ子どもの励みになり、失敗を恐れることがなくなる。
夢が現実になったときの自分を思い描くかわりに、目標達成に向けて一歩一歩前進する自分を思い描く方が、はるかに成功する率が高い。とくに効果的なのは第三者の立場で眺めること。客観的に自分を眺める人は、主観的に自分を眺める人にくらべて成功する率が2割高い。
親友が自分の葬式で弔辞を述べる場面を、少しのあいだ想像してみる。自分は個人として、あるいは仕事人としてなにを遺せるだろう。それを考えると自分の長期的な目標が明確になり、現在その目標に向けてどこまで進んでいるかを自覚することができる。
『ルポ 日本の縮図に住んでみる』(日本経済新聞社編,日本経済新聞社,2009.12.08) [本]
「日本列島のある場所に1か月ほど住んでみたら、日常の取材とは違うなにかが見えてくるだろうか?」という問題意識を持って、日本経済新聞社の50、60代のシニア記者が各地に定住して書かれたルポ。
目次は次のとおり。
特に印象的だったのは、第5章と第6章。
20年近い交流の歴史を支えてきた自治区長ですら「日本人とブラジル人は共生できない」と断言する現実。
病気は治癒し、患者はほとんどいないにも関わらず、全国13か所の国立ハンセン病療養所に2,600人近い入所者が残らざるを得ない現実。
双方の救いのなさに、ずっしりとした重たさを感じた。
目次は次のとおり。
- 最西端の孤島-与那国に住んでみる
- 変わりゆく労働者の街-横浜・寿町に住んでみる
- 奈良・吉野町-若者自立寮に住んでみる
- 田舎暮らしを体験-北海道浦河町に住んでみる
- 日本ブラジル共存の街-豊田・保見団地に住んでみる
- 岡山・邑久光明園-ハンセン病療養所に住んでみる
特に印象的だったのは、第5章と第6章。
20年近い交流の歴史を支えてきた自治区長ですら「日本人とブラジル人は共生できない」と断言する現実。
病気は治癒し、患者はほとんどいないにも関わらず、全国13か所の国立ハンセン病療養所に2,600人近い入所者が残らざるを得ない現実。
双方の救いのなさに、ずっしりとした重たさを感じた。
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(吉田篤弘,暮らしの手帖社,2006.08.16) [本]
この著者の作品を読むのは、これが初めて。
「暮らしの手帖」に連載されていただけあり、和やかな穏やかな雰囲気。
ある街のサンドイッチ屋さんを舞台に話は進み、これといった大きな事件は起きない。
でも、おもしろい。独特の空気感がある作品だった。
癒される、というのは通俗すぎて好きな表現ではないが、ほのぼのとした読後感が味わえる。
しばらく、ちょっと重点的にこの作家の作品を読んでみよう。
最後に、巻末の「名なしのスープの作り方」から引用。
「暮らしの手帖」に連載されていただけあり、和やかな穏やかな雰囲気。
ある街のサンドイッチ屋さんを舞台に話は進み、これといった大きな事件は起きない。
でも、おもしろい。独特の空気感がある作品だった。
癒される、というのは通俗すぎて好きな表現ではないが、ほのぼのとした読後感が味わえる。
しばらく、ちょっと重点的にこの作家の作品を読んでみよう。
最後に、巻末の「名なしのスープの作り方」から引用。
- 期待をしないこと。
- どんなスープが出来上がるかは鍋しか知らない。
- 鍋は偉い。尊敬の念をこめて洗い磨く。が、期待はほどほどに。
- 磨いた鍋は空のまましばらく置く。すぐにつくり始めない。我慢をする。
- 空の鍋に何か転がり込んでこないものかと、ほどほどの期待をする。
- しかし、すべては鍋に任せる。すると、鍋がつくってくれる。
- 冷蔵庫を覗き、たまたまそのときあったものを鍋に放り込む。
- 何でもいいが、好物のじゃがいもは入れておきたい。
- もちろん、じゃがいもでなくてもいい。これは外せないというものを何かひとつ。
- 鍋に水を入れ、火をつけると、そのうち湯気がたつ。湯気もまた尊い。
- 換気を忘れないこと。窓をあけて、ついでに外の様子を見る。
- 晴れていようが、曇っていようが、雨だろうが、スープはどんな空にも合う。
- それも偉い。
- やがて、じゃがいもがくずれてとける。
- じゃがいも以外の諸君も、そのうちとけ始める。
- とけて、彼我の区別がつかなくなったら、それで完成。
- 本当は完成などないが、まぁ、いいや。
- 熱いうちに食す。
- そして、冷めないうちに近所の誰それに。
- あるいは、思い出される人たちに。面倒なら、思い出すだけでもいい。
- これを、スープの冷めない距離という。
- この距離を保つのが、なかなか難しい。
- その訓練のためにスープをつくる──というのはタテマエ。
- ここに書いたことはすべて忘れ、たたひとこと念じればいい。
- とにかく、おいしい!