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『怖い絵』(中野京子,朝日出版社,2007.07.25)   [本]

 表紙の絵(ラ・トゥールの『いかさま師』)が印象的な装丁。

「怖い絵」として取り上げられているのは、計20作品。
 ただ、見た目の印象で「怖い」絵は、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』やベーコンの『ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作』など、数点に限られる。
 本書が追求する「怖さ」は、もっと奥深いところにある。

 個人的に怖いと感じたのは、ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』やダヴィッドの『マリー・アントワネット最後の肖像』。
 特に、ドガの作品の場合、スポットライトを浴びて踊るバレリーナ(エトワール)が落ち着いた色調で描かれているだけなので、どこにも不気味さも狂気も感じない。そのため、怖さは全く感じない。実際、私がオルセー美術館で実物を見たときの印象も「きれいな絵だな」というものでしかなかった。
 作者は、そこからさらに奥に掘り下げ、現代の我々の眼には映らない、はっきりと見えていながら認識できていない数々の存在を暴いていく。

 このドガの『エトワール、または舞台の踊り子』の場合、それはドガの時代、劇場、とりわけオペラやバレエを上演するオペラ座が堕落していたことに由来している。現代より社交場としての機能が遙かに重視されていたこの時代、当時の批評家の言葉を借りれば「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」となっていたのだ。
 そして、その娼館に常駐している娼婦が踊り子だった、という歴史的な事実が提示されると、この美しい絵も美しいだけの絵ではないことがわかってくる。
 この絵の場合、背後の書割の陰に佇んでいる夜会服を着た紳士が、このエトワールのパトロンであり、当時の人たちにとっては一目瞭然かつ全く普通のことだったため、この絵に描き込まれているのである。
 以下、一部引用。
 ──スポットライトを浴びて華やかに舞うエトワール。彼女はほんとうにスターとしての素質があるのか、それとも単に有力なパトロンの後押しで、今日のこの座を得たのだろうか? それは永遠にわからない。
 けれど確かなのは、この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上って、とにもかくにもここまできたということ。彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。それがとても怖いのである。

 一旦、この見えていながら見えていなかった事実に気がついてしまうと、もうこの名画を以前と同じように「きれいな絵」とは思えない。
 これは、人として幸いなのか、不幸なのか……?

 いずれにせよ、斬新な切り口の名著。続編も読んでみよう。


怖い絵

怖い絵

  • 作者: 中野 京子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2007/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

怖い絵2

怖い絵2

  • 作者: 中野 京子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2008/04/05
  • メディア: 単行本

怖い絵3

怖い絵3

  • 作者: 中野 京子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2009/05/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

探究この世界 2010年2-3月 (NHK知る楽/月)

探究この世界 2010年2-3月 (NHK知る楽/月)

  • 作者: 中野 京子
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  • 発売日: 2010/01/25
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