狐野扶実子の東京ビストロ案内 [8] - dancyu 2011年4月号 [食]
東京の中のパリ
ビストロの語源の一つに、19世紀の初め、ナポレオン支配下のパリがロシアによって解放された際、空腹のロシア兵たちが、大衆的な食堂に押し寄せて食事を注文し、「ブイストロ! ブイストロ!(「早く!」の意味)と叫び、そこから「ビストロ」と呼ばれるようになった、という説がある。
そして、兵士たちが叫んだ場所が、モンマルトルの丘だった。
そのビストロの原点ともいうべき場所(モンマルトルの丘)の名前を冠したビストロが神楽坂にある。
ソムリエのデュラン・ジャニック氏が1998年に開いた「ル・クロ・モンマルトル」は、通りからちょっと入った脇道にあり、アットホームな雰囲気。ボードに書かれたメニューにも、アンディーブのグラタン、鴨のテリーヌ、バヴェットステーキといった、パリのビストロの定番といえるメニューが並んでいる。
ちなみに、バヴェットとは、牛の脇腹あたりにある部分で、日本の焼肉屋では「カイノミ」と呼ばれている。
日本ではあまり馴染みがないためか、バヴェットといいながら、実際にはハラミを使っているビストロが多いようだが、この店では、きちんとバヴェットを焼いている。
また、鴨のテリーヌも内臓やピスタチオ、プラムなどがざくざくと入って、程よく空気が含まれている感じがあり、この食感こそがビストロ料理の醍醐味といえる。同じ料理でも、用いる素材、部位や食感などが全く異なり、レストランであれば、フォアグラなどを入れてみっちりと密度あるものが多いが、これがビストロとレストランの大きな違いであり、また、比較的安い材料を手間暇をかけておいしくするビストロならではの味わいであり、楽しみである。
「自分が好きなものを出している」というデュラン氏は、モンマルトルの丘と雰囲気が似た神楽坂が気に入って出店。
パリのビストロそのままの雰囲気のこの店には、実際、フランス人の客が多いのだが、日本人でも、そして男性、女性に関わらず一人でも楽しく食事ができる雰囲気となっている。
ビストロの語源の一つに、19世紀の初め、ナポレオン支配下のパリがロシアによって解放された際、空腹のロシア兵たちが、大衆的な食堂に押し寄せて食事を注文し、「ブイストロ! ブイストロ!(「早く!」の意味)と叫び、そこから「ビストロ」と呼ばれるようになった、という説がある。
そして、兵士たちが叫んだ場所が、モンマルトルの丘だった。
そのビストロの原点ともいうべき場所(モンマルトルの丘)の名前を冠したビストロが神楽坂にある。
ソムリエのデュラン・ジャニック氏が1998年に開いた「ル・クロ・モンマルトル」は、通りからちょっと入った脇道にあり、アットホームな雰囲気。ボードに書かれたメニューにも、アンディーブのグラタン、鴨のテリーヌ、バヴェットステーキといった、パリのビストロの定番といえるメニューが並んでいる。
ちなみに、バヴェットとは、牛の脇腹あたりにある部分で、日本の焼肉屋では「カイノミ」と呼ばれている。
日本ではあまり馴染みがないためか、バヴェットといいながら、実際にはハラミを使っているビストロが多いようだが、この店では、きちんとバヴェットを焼いている。
また、鴨のテリーヌも内臓やピスタチオ、プラムなどがざくざくと入って、程よく空気が含まれている感じがあり、この食感こそがビストロ料理の醍醐味といえる。同じ料理でも、用いる素材、部位や食感などが全く異なり、レストランであれば、フォアグラなどを入れてみっちりと密度あるものが多いが、これがビストロとレストランの大きな違いであり、また、比較的安い材料を手間暇をかけておいしくするビストロならではの味わいであり、楽しみである。
「自分が好きなものを出している」というデュラン氏は、モンマルトルの丘と雰囲気が似た神楽坂が気に入って出店。
パリのビストロそのままの雰囲気のこの店には、実際、フランス人の客が多いのだが、日本人でも、そして男性、女性に関わらず一人でも楽しく食事ができる雰囲気となっている。
ル・クロ・モンマルトル (Le Clos Montmartre)
東京都新宿区神楽坂2-12 Ryo I 神楽坂1階
Tel. 03-5228-6478
[休] 日曜
[営] 11:30~14:00 (L.O.) , 18:00~21:30 (L.O.)
ルベイとフミコのビストロ・ヌーヴォー (クレアドゥエ クレアトラベラー)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/10
- メディア: 単行本
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