『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(池澤夏樹,小学館,2009.11.02) [本]
2009年に読んだ本の中で、私の中の評価では最高の名著。
「信仰は魂に属するが、宗教は知識である」というまえがきから始まるこの本は、作家・池澤夏樹と碩学・秋吉輝雄との対談形式を取った、一種の啓蒙書。
この本の成り立ちは、あとがきで明らかにされているが、池澤夏樹氏にとって、秋吉輝雄氏は池沢氏の父親の母方の従兄弟、という縁戚関係にあたるとのこと。
そのためか、素人代表(というには、知識の豊かさに圧倒されるが……)としての池沢氏が、専門家としての秋吉氏に次々と質問するという形式の対談そのものが、やわらかく親しみやすい雰囲気に包まれている。
本書の構成は、次のとおり。
中でも、第三部で語られる「『おとめマリア』か『処女マリア』か?」や「アダムの以前に人はいたのか?」は、雑学的な読み物としても興味深い。
ただ、次の引用部分からも感じたことだが、池澤氏と秋吉氏にとって「『神』は存在する」ということは、揺るぎない大前提となっている。
そのため、キリスト教への興味が、知識や歴史的な関心の範囲に留まっている私にとっては、少し違和感があったのは事実。
とはいえ、数あるキリスト教の解説書の中で、この本ほど、私の「聖書について知りたかったこと」を明快に解き明かしてくれた本は初めて。
再読、再々読の価値がある名著。おすすめです。
「信仰は魂に属するが、宗教は知識である」というまえがきから始まるこの本は、作家・池澤夏樹と碩学・秋吉輝雄との対談形式を取った、一種の啓蒙書。
この本の成り立ちは、あとがきで明らかにされているが、池澤夏樹氏にとって、秋吉輝雄氏は池沢氏の父親の母方の従兄弟、という縁戚関係にあたるとのこと。
そのためか、素人代表(というには、知識の豊かさに圧倒されるが……)としての池沢氏が、専門家としての秋吉氏に次々と質問するという形式の対談そのものが、やわらかく親しみやすい雰囲気に包まれている。
本書の構成は、次のとおり。
第一部 聖書とは何か?
第二部 ユダヤ人とは何者か?
第三部 聖書と現代社会
中でも、第三部で語られる「『おとめマリア』か『処女マリア』か?」や「アダムの以前に人はいたのか?」は、雑学的な読み物としても興味深い。
ただ、次の引用部分からも感じたことだが、池澤氏と秋吉氏にとって「『神』は存在する」ということは、揺るぎない大前提となっている。
そのため、キリスト教への興味が、知識や歴史的な関心の範囲に留まっている私にとっては、少し違和感があったのは事実。
池澤 ヘブライ語からギリシャ語になるときにパルテノス、処女になったというのは、それも全知の神は承知していたのではないでしょうか。
秋吉 たとえ、神言とはいえ、ヘブライ語という一言語の表し得る限界性ということを考えれば、新しい言語、ギリシャ語を通しての開示と言わざるをえないですね。神の子イエスの受難と死にしても、ヘブライ語の制約を超えると思います。
とはいえ、数あるキリスト教の解説書の中で、この本ほど、私の「聖書について知りたかったこと」を明快に解き明かしてくれた本は初めて。
再読、再々読の価値がある名著。おすすめです。